この地は、旧東海道の東側で、金沢・浦賀往還への出入り口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や敢行の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され、現在残っています。四基の道標はそれぞれ次ぎのとおりです。(右から番号を付す) @円海山之道[天明3年(1783)建立] 左面に「かなさわかまくらへ通りむけ」と刻されています。建立者は保土ヶ谷宿大須賀吉左衛門です。円海山は「峯のお灸」で有名でした。 Aかなさわ、かまくら道[天和2年(1682)建立] 左面に「ぐめうし道」と刻されています。 B杉田道[文化11年(1814)] 正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻されています。句碑を兼ねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で河東節の家元です。 C富岡山芋大明神社の道[弘化2年(1845)建立] 建立者は柳島村(現茅ヶ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺で、ほうそうの守り神として信仰を集めていました。 平成5年3月 横浜市教育委員会 |