芭蕉句碑 八丁畷駅手前線路際 川崎区池田1丁目 川崎市
俳聖芭蕉は元禄7年(1694)5月、江戸深川の庵をたち、郷里、伊賀への帰途、川崎宿に立ち寄り、門弟たちとの惜別の思いをこの句碑にある 麦の穂をたよりにつかむ別れかな の句にたくしました。芭蕉は、「さび」「しおり」「ほそみ」「かろみ」の句風、すなわち「蕉風」を確立し、同じ年の10月、大阪で、 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる という辞世の句をのこし、51歳の生涯をとじました。それから130余年後の文政13年(1830)8月、俳人一種は、俳聖の道跡をしのび、天保の三大俳人のjひとりに数えられた師の桜井梅室に筆を染めてもらい、この句碑を建てました。  昭和59年10月  川崎市教育委員会