煉瓦遺構の碑
銀座は日本に二箇所しか建設されなかったきわめて貴重な煉瓦街の一つです。もう一つは丸の内の煉瓦街でした。しかし今日では残されたこうした遺構から明治時代の煉瓦街を窺い知るほかはありません。(中略)この煉瓦は銀座8丁目8番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたものでゆかりの金春通りに記念碑として保存される事になりました。
(以下略)
金春屋敷跡  所在地 中央区銀座8−6〜8地域
江戸時代、幕府直属の能役者として知行・配当米・扶持を与えられていた家柄に、金春・観世・宝生・金剛の四家がありました。能楽は室町時代に足利幕府の保護奨励を受けて発達し、安土桃山時代には熱心な愛好者であった豊臣秀吉の保護を受けて大いに興隆しました。(中略)金春家は寛永4年(1627)に屋敷を拝領したといわれ、・・・現在の銀座8丁目6・7・8番地全体を占めていたように図示されています。後に、この屋敷は麹町善国寺谷に移りましたが、跡地には芸者が集まり花街として発展していき「金春芸者」といわれるようになりました。金春の名は、「金春湯」・「金春通り」などとして、いまもこの地に残っています。  
平成15年3月  中央区教育委員会
金春通り 東海道