県指定史蹟  昭和47年2月23日指定
 水□城は寛永11年(1634)徳川三代将軍家光が上洛するのに伴い、宿館として築城された。工事は小堀遠州ら作事奉行のもと、幕府直営で行われた。 構造は平城で、堀に囲まれた本丸とその北側の二の丸からなる。本丸はほぼ正方形で東に出丸をもち、御殿と四隅に櫓を配する。二の丸には管理・警護施設が設けられた。本丸殿舎の建物構成は二条城に類似し、数寄をこらしたものといわれている。堀には注水坑はなく、今も水のかれることがないことなどから、別名碧水城と呼ばれている。 家光上洛後は番城として幕府の管理下に置かれ、天和2年(1682)に加藤氏が入封して水口藩が成立し、その居城となる。なお、本丸殿舎は正徳年間(1711〜16)に撤去されたようである。 明治維新後は廃城となるが、堀や石垣はよく形状をとどめている。近年、出丸部分の修景が行われた。平成4年3月 滋賀県教育委員会
水口城跡 水口町本丸 甲賀市 滋賀県