木食正禅養阿上人が心血を注いだ、東海道日ノ岡峠の改修工事は、元文3年(1738)秋、3年がかりで逐に完成した。しかも上人は、峠の途中に木食寺梅香庵を営み、道路管理と休息所を兼ねさせたのである。堀リあてた井戸水を亀のロより落して石水鉢(量救水)に受け、牛馬の渇を癒すと共に、道往く旅人に湯茶を接待した。 その石のカマドに刻まれた銘文は、上人の苦心をよく物語っている。(中略)上人は晩年養阿と改名し、宝暦13年(1763)76才でこの地に示寂し、東山五条坂の安祥院に葬られた。なお、量救水の本物はなぜか東京都内に現存している。  (解説・京都石佛会) 陵ヶ岡自治町内連合会
木食遺蹟梅香庵址(亀の水不動)日ノ岡坂脇町 山科区 京都市