旅行者の便をはかって街道の一里毎にその目印として設置されたのが一里塚である。この制度が整ったのは慶長8年(1603年)家康が日本橋を架設し、翌9年この橋を起点として東海、東北、北陸の諸街道を修理し、その折36町毎に道の左右に相対して一里塚を築き、塚の上に榎を植えて遠くからでも望見できるよう旅行者の便をはかったことにはじまっている。 土山町内設置場所は山中地先、土山地先、大野市場地先であったが、現在その跡はほとんど残っていない。塚の規模は、およそ高さ2.5m、円周12mの大きさであったと伝えられている。土山地先の一里塚は土山町北土山大森慶司宅付近にあったと伝えられ、この付近の字名は一里山と名づけられている。
一里塚跡 土山町北土山 甲賀市 滋賀県