鈴鹿馬子唄にも謡われる関の小万は、女性の身でありながら亡き母の遺志を継ぎ、父の敵討ちをした仇討烈女として名高い。 関地蔵院前にあった旅籠山田屋(現会津屋)の養女となっていた小万は、亀山藩の道場で武芸を磨き、天明3年(1783)亀山城大手前付近で無事本懐を遂げる事ができた。 その後も小万は山田屋に留まり享和3年(1803)に36才の若さでなくなった。
墓碑銘「妙証信女 享和三年亥年正月十六山田屋小萬」
関の小万の墓 福蔵寺 関町木崎 亀山市 三重県