鈴鹿川の北堤を1946間(3.5km)約18丁に及ぶ東海道一の長縄手でありました。江戸時代は松並木でしたが、明治になって枯松の跡へ桜を植えましたが、その桜もほとんど枯れてしまいました。
 芭蕉もこの長い畷を旅して「から風の太岡寺縄手ふき通し、連(つれ)もちからもみな坐頭なり」と詠んでいます。
鈴鹿川・大岡寺畷 小野町 亀山市 三重県