大庄屋打田権四郎昌克宅跡 布気町 亀山市 三重県
打田家は江戸初期に近江国からも野尻村に来て土着し本多家の代官を勤めその後の城主からは本庄屋に任ぜられた。この北に屋敷があった。権四郎昌克は17代当主で寛永19年(1642)に生まれ、大庄屋在任中亀山藩領86ヶ村を中心にした見聞記「九々五集」9巻(13冊)別巻などを記録し編纂した。享保16年(1732)1月25日に没した。菩提寺の帰郷院善性寺に墓がある。  * 9x9+5=86