加藤家は亀山藩主石川家家老職(600石)を努め、延享元年(1744)石川家の備中松山から亀山への移封に伴い、現在地に屋敷地を与えられた。長屋門などの建築年代は確定できないが幕末までに数度の改築を受けており、江戸中期以降の建築と考えられる。明治以降、建築の大半は移築もしくは破却され、現在は母屋の一部、長屋門、土蔵、稲荷社を遺すのみとなったが、武家建築の様式を今日に伝える貴重な遺構である。平成2年に長屋門、土塀の修理工事が行われ、幕末時の姿に修復された。 
加藤家長屋門 西丸町 亀山市 三重県