庄野宿は江戸から百二里余、東海道四十五次にあたり、幕府の直轄領であった。他宿にくらべ宿立ては遅く寛永元年(1624)といわれている。この宿は、「草分け三十六戸、宿立て七十戸」といわれ、鈴鹿川東の古庄野から移った人達を合わせ七十戸で宿立てをした、南北八丁で宿入口の加茂町中町上町からなる。 安藤広重の描く「庄野の白雨」は、彼の作品の中でも傑作中の傑作と言われ、世界的にも高い評価を得ている。
庄野宿入り口 庄野町 鈴鹿市 三重県