石薬師宿は江戸から数えて44番目の宿場である。天領であったこの地に宿駅が設置されたのは、元和2年(1616)と遅く、それまでは高富村と呼ばれていた。 弘化2年(1845)の石薬師宿軒別図から職業構成をみると、人家約180軒のうち旅籠屋が約30軒、百姓は約130軒で全戸数の約7割をしめており、農村的性格の強い宿場であった。街道の中ほどの西側には小沢本陣がありその向かいには園田家がつとめていた問屋場があった。 当資料館の隣に建つ連子格子造りの木造家屋は佐佐木信綱(1872〜1963)の生家で、一家が松阪へ移住する明治10年(1877)までの幼年期をこの家で過ごした。 裏庭には「産湯の井戸」が今も残っている。 石薬師では、信綱作詞の唱歌「夏は来ぬ」に因んで昭和63年(1988)から地区を挙げて「卯の花の里づくり」に取り組んでいる。 初夏になると、どこの家庭の庭先にもまた道端にも白い可憐な花が咲き清楚な趣をそえている。
旧石薬師宿家並み 石薬師町 鈴鹿市 三重県