杖衝坂と血塚、二つの井戸  杖突坂とも書き、東海道の中でも急坂な所で、日本武尊が東征の帰途、大変疲れられ「其地より、やや少しいでますにいたく疲れませるによりて、御杖をつかして、梢に歩みましき、故其地を杖衝坂といふ」(『古事記』)とあり、その名が称されるようになり、加えて、芭蕉の句「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」により、その名が世に知られることになった。また、坂を上がりきった所には、尊の足の出血を封じたとの所伝から血塚の祠もある。 この場所にある二つの井戸は、坂の上手を「弘法の井戸」、下手を「大日の井戸」と言われ、前者は弘法大師が水に困っている村人に、杖で指し示されて掘ったところ清水が湧き出た井戸であると伝えられ、後者は、坂の中腹左側にあった大日堂に供える閼伽水を汲み上げた井戸と、地元民の間では伝承されている。

俳聖 松尾芭蕉が貞享四年(1687)に江戸から伊賀に帰る途中、馬に乗ってこの坂にさしかかったが、急な坂のため馬の鞍とともに落馬したという。そのときに詠んだ季語のない有名な句である。 宝暦六年(1756)村田鵤州が杖衝坂の中ほどにその句碑を立てた。 明治の初期、坂の下釆女西町永田精一郎氏の庭園に移されたが、このたび現所有者藤沢一郎氏ご夫妻のご理解により、再びもとの地に移設したものである。
杖衝坂・芭蕉句碑 采女町 四日市市 三重県