むかし、この辺りから泊の集落までは東海道の両側に低い土手が築かれ、その上に大きな松の木が並んで植えられていた。その向こうには、家は一軒もなく、縄手(なわて)と呼んでいた。この松は、その蝿手に植えられていたものが残った貴重なものであり、往時の東海道や日永の歴史の一端を今に伝えるものとして大切に維持しなければならない。縄手の道の幅は、土手も入れて約5間(9m)であった。松の木が無くなった現在の道幅とほぼ一致する。因みに、旧東海道の道幅は、3間(約5.5m)で、現在も変わっていない。
東海道名残の一本松 諏訪栄町 四日市市 三重県