当社は昔は南神明社といい、主祭神として天照大御神を祀る。日永神社という単称が許されたのは明治40年からである。創祀は鎌倉時代の建仁年間(1201〜1204)といわれているが、天正年間(1573〜92)に織田信長の兵火に罹り、創立沿革の記録や神宝類も焼失し、いつ創祀されたか不明である。以下略 「大神宮 いせおいわけ」 「京」 「山田」
 この石柱は昔、日永の追分の神宮遥拝鳥居の傍に立てられていた道標である。 この道標には正面「大神宮 いせおいわけ」右側面に「京」左側面に「山田」そして裏面には「明歴二丙申三月吉日 南無阿弥陀仏 専心」と刻まれている。 この道標が立てられた明歴2年(1656)といえば、神宮遥拝鳥居が建立されたときよりも約120年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものである。 更に立てた人がお坊さんであること、そして南無阿弥陀仏と彫られていることも興味のあることである。 嘉永2年(1849)神宮遥拝鳥居の脇に現在の立派な道標が立てられたとき、この小さな道標が不要になり、近くにあった追分神明社の境内に移され、その後、明治40年に追分神明社が日永神社に加祀された際に、道標も一緒にここに持って来られたものと推定される。
日永神社・追分道標 日永4丁目 四日市市 三重県