桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約28km)あることから、7里の渡と呼ばれました。七里の渡は、ちょうど伊勢国の東の入ロにあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が天明年問(1781〜1789)に建てられました。 七里の渡の西側には舟番所、高札場、脇本陣駿河屋、大塚本陣が、七里の渡の南側には舟会所、人馬問屋や丹羽本陣があり、東海道を行き交う人々で辰わい、桑名宿の中心として栄えました。昭和33年(1958)、七里の渡跡は三重県指定史跡となりました。昭和34年(1959)には伊勢湾台風によって、この付近は甚大な被害を受けました。現在では七里の渡跡の前に堤防が築かれたため、七里の渡跡の風景は、江戸時代とは異なる表情を見せています。   桑名市・桑名市教育委員会
七里の渡跡 船馬町 桑名市 三重県