薩摩義士とは、当地方に度々水害をもたらした木曽・揖斐・長良三大河川の治水工事による薩摩藩85名の犠牲者を言います。この工事は、宝暦3年(1753)江戸幕府より薩摩藩に命じられ、工事奉行平田靭負(ゆきえ)他藩士約950名と予算30万両で始められ約1年半のエ期で完成したが、この間85名の犠牲者と、多大な工事費用を費やしました。これにより長年荒れ狂った大河川も制御されたのです。 当寺には、工事終了後大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任を負い切腹した奉行平田靭負の墓碑を中心に24義士の墓があります。 義士によって築かれた池島(岐阜県海津市の堤防には数千本の松が植えられ、現在も千本松原と呼ばれて偉大な功績跡を残しています。
海蔵寺(薩摩義士墓所)北寺町 桑名市 三重県