曹洞宗の寺で、天正8年(1580)の開山といわれ、開基は刈谷城主水野忠重とされる。本堂の隣に地蔵堂・行者堂・秋葉堂が並んでいる。寺の入り□にある常夜灯は、寛政8年(1796)の年号が刻まれている。 墓所には、何度直しても反対側に傾くといわれる豊前国(大分県)中津藩士の墓がある。またその隣には刈谷の昔話ではよく聞かれるめったいくやしいの墓がある。 平成14年3月 刈谷市教育委員会
中津藩士の墓(左の二基)
 寛保2年(1742)豊前国(大分県)中津藩の家臣が帰国途中、今岡村付近で突然渡辺友五郎が牟礼清五郎に斬りつけ2人とも亡くなったため2人の遺骸は洞隣寺に埋葬された。ところが2人の生前の恨みからか、いつのまにか反対側に傾き、何度直しても傾いてしまうので、村人は怨念の恐ろしさに驚き、墓地を整理して改めてあつく葬ってからは墓は傾かなくなったといわれる。

めったいくやしいの墓(右の小石)
 昔、洞隣寺の下働きに容貌は悪かったが気立てのよいよく働く娘がいた。あるとき高津波村の医王寺へ移ったところ、この寺の住職に一目ぼれした。しかし、青年僧は仏法修行の身であり娘には見向きもせず寄せ付けなかった。娘は片想いのため食も進まずついに憤死してしまった。洞隣寺の和尚はこれを聞いて亡骸を引き取って葬ったが、この墓石から青い火玉が浮かび上がり油の燃えるような音がしたり「めったいくやしい」と声になったりして火玉は医王寺の方へ飛んで行ったといわれる。女の情炎の恐ろしさが語り継がれている。
洞隣寺 今岡町日向 刈谷市 愛知県