知立の松並木・一茶句碑 牛田町御林 知立市 愛知県
はつ雪やちりふの市の銭叺(かます)

(前略)文化10年(1813)一茶51歳の時、池鯉鮒の木綿市の繁昌を
「はつ雪やちりふの市の銭叺」と詠んだ。下句を「銭の山」と詠んだのもある。これよりさき元禄5年(1692)に芭蕉は「不断たつ池鯉鮒の宿の木綿市」と詠んでいる。奇しくも江戸期俳壇を代表する二人が当地の繁昌を詠んだのである。ここに昔日の繁栄を偲び、新しい時代を期待して句碑を建立した。  平成2年11月 知立市文化協会
 江戸時代東海道池鯉鮒宿は品川宿から数えて39番目に当たる宿駅で、江戸日本橋から84里17丁(約330km)あり、京都までのほぽ3分の2の地点にありました。
東海道松並木
 徳川家康が江戸に幕府を開いたとき、禁裏のある京都と江戸間の交通を重視し、東海道を整備したのは慶長九年(1604年)のことである。当時幅二〜四間(3.6〜7.2メートル)の道は随分の大道であったに違いない。やがて参勤交代が始まり、遂年交通量は増えてきた。そのため寒暑風雨から旅人を守るため、中国の古例にならい両側に松木を植えたものである。 知立の松並木は、近年まで牛田町から山町まで約1キロ続いていたが、住宅が次々と建てられて今では450メートル程になってしまった。戦前までは、昼なお暗いほど老樹が欝蒼としていたが、昭和34年の伊勢湾台風により60〜70%の松が析られたり、根ごと吹き倒されてしまった。昭和45年、幼松158本を補植し、以後毎年松食虫の防除に努め、昔の姿を今にとどめています。 用水管理者 明治用水土地改良区 遊歩道管理者 知立市 事業主体 愛知県岡崎農地開発事務所