名勝八橋の中心となる寺で、現在臨済宗妙心寺派に属しています。寺伝では奈良時代の慶雲元年(704)の創立としており、当時は慶雲寺と称し真言宗として寺坊大いに栄えたと申します。延喜2年(902)山号寺号を八橋山無量寺と改めているのでこのころいまの地に移されたと伝えられ、その後に無量寿寺と改められ現在に至っています。
芭蕉連句碑  
   
かきつばた 我に発句の おもひあり 芭蕉
   
麦穂なみよる 潤ひの里         知足
芭蕉が貞享元年(1684)に『野ざらし紀行』を終え翌年4月上旬木曽路を経て帰庵の途、鳴海の俳人下郷知足の家に泊り俳延を開いた時の作といわれる。 芭蕉は知足の案内でこの旧蹟八橋に遊んで懐古にふけったのであろうか。 碑を建てたのは知足の子孫である下郷学海で「安永六丁酉六月」(1777)とあり、三河にのこる芭蕉句碑の代表的なものとされている。 知立市教育委員会

八橋古碑
史蹟名勝の地として知られたここ三河八橋は、古くから文人墨客の訪れることが多かった。 この碑文は、荻生徂徠門下の秋本偶夷が岡崎侯に招かれて儒官をつとめていたとき、偶(たまたま)この地を訪れ、「八橋紀事弄王孫歌」と題して″八橋と業平の故事″についてまとめたものである。 書は門人の国分興伯機で、同門人の由良不念により寛保2年(1742)に建立された。 亀の上に三五七の漢字を刻んだ碑柱が建ち、一般に亀甲碑と呼ばれている。 知立市教育委員会
無量寿院 八橋町 知立市 愛知県