石垣と刻印
大規模に拡張された吉田城も、石垣のあるのは本丸とその他数ヶ所だけで他は土塁であった。本丸石垣の壁面は、内側・外側合わせると約50面になる。野面(のづら)積み(自然石を砕いて、そのまま積んでいく)である鉄櫓(復興)下北面と西面の石垣は、後世の手直しの跡のない池田輝政時代の石垣だといわれている。さらに、石垣の石のうち花崗岩に色々な印が彫られているが、これがいわゆる「石垣刻印」と呼ばれているものである。刻印は、大阪城や名古屋城などにもみられ、築城工事を分担した大名と家臣などの印であるといわれ、現在まで50以上確認されている。因みに、吉田城の石垣に使われている花崗岩は名古屋城創設用の石材を使用したものである。
吉田城跡 今橋町 豊橋市 愛知県