天竜川は明治の初年まで長い間渡船によって通行をしていたが、明治6年(1873)架橋の第一段階として船橋の計画が中野町村側から出され、翌明治7年(1874)2月、源平新田から中野町村に船橋が完成した。明治9年になりこれが木橋に架け換えられ、極めて便利な交通路となった。 全長646間(1163m)巾2間(3.6m)天竜橋も池田橋と同じように長い間「はしぜに」を徴収していた。昭和8年、国道に現在の鉄橋が完成したので、池田橋とともに名物の木橋は廃止され、取り除かれた。 この木橋の位置を末長くとどめるため、昭和48年3月、教育委員会はこの碑を建てた。(なお、天竜川船橋の記念碑は橋の西側の中野町に建てられている。 平成18年3月  磐田市教育委員会  豊田町郷土を研究する会
  天龍橋跡 源平新田 磐田市 静岡県