江戸時代、宿場と宿場をつなぐ街道筋の主な村(間村)には、立場という旅人や人足、駕籠かき、伝馬などの休憩所が設けられていました。明治時代以後は人カ車や馬車などの発着所、またその乗客・従業員の休憩所となりました。ここから数十メートル東へいった所に、立野村字長森の立場があったと伝えられています。立場は、掛茶屋、立場茶屋などと呼ばれる茶屋を兼ね、旅人たちはお茶を飲んだり、名物の餅などを食べて休憩しました。また、馬もここで湯や麦などを補給しました。

長森かうやく
「長森かうやく」は、江戸時代の前期万治年間(1658〜1660)から、山田与左衛門家で作り始められた家伝薬で、冬季にできる「あかぎれ」や切り傷に抜群の効能があるとして、近所の村人は元より、参勤交代の大名行列の一行や東海道を上下する旅人たちの土産品として大変な人気を博しました。 山田家には今でも江戸時代に作られたられた桜の木の一枚板の大看板があります。(中略)  こうやくの製法は、当時の主人山田与右衛門が夢枕にたった神様のお告げによって始めたと伝えられ、当主が代々受け継いできましたが、現在は作られていません。製法は極秘中の極秘とされ、たとえ妻であっても明らかにされることは許されませんでした。 昔の歌に「諸人のよき評判や長森の諸病に菊の五もんかうやく」 と詠まれています。 平成18年3月 磐田市教育委員会
長森立場・長森膏薬 長森 磐田市 静岡県