見付宿は、江戸日本橋から数えて28番目、京都三条大橋から26番目を数えます。見付宿は中世に作られた狂言『磁石』に「見付な長い町」と紹介されています。江戸時代後期の資料によれば東木戸から、東坂町、馬場町、西坂町、横町と西木戸まで並び、ほぼ中央には南北両本陣や脇本陣が置かれました。西には天竜川を控え東海道各宿でも重要な宿の一つでした。この見付宿の東側の入口に、阿多古山一里塚があります。この塚は見付の町を見下ろす高台にあり、京へ向かう旅人は、ここから宿場を眺めてほっとしたことでしょう。一里塚は、江戸時代の初期に整備されました。阿多古山一里塚は江戸から62里、京から64里の位置にあります。一里塚が残っている所は少なく、さらに阿多古山一里塚のように街道の両脇に塚が現存する例は極めて珍しく、昭和42年に磐田市の指定史跡になっています。
見付宿と阿多古山一里塚 見付 磐田市 静岡県