江戸時代末期の旅籠。嘉永5年(1852)の日坂宿大火て焼失し、その後まもなく再建されました。再建時期について明確な資料はありませんが、建物内部の構造体や壁に貼られた和紙に書かれていた「安政三年丙・・・」から考えまして、安政年間(1854〜1859)のしかも早い時期かと思われます。同じ宿内で筋向いの「川坂屋」が士分格の宿泊した大旅籠であったのに対して「萬屋」は庶民の利用した旅籠でした。 一階に裏手に抜ける通り土間がないこと、台所が不明であること、二階正面の出格子が二階床と同じ高さで、腰高の手すりが付き、大変開放的であることなどが、この旅籠の特徽です。又、一階正面の蔀戸(しとみど)は当時の一般的な店構えの仕様であり、日坂宿では昭和20年代まで数多く見られました。以下略
 萬屋 日坂 掛川市 静岡県