東海道五十三次品川宿から数えて二十五番目の宿「日坂」
江戸から54里余。日坂は東海道三大難所の一つ「小夜の中山峠」西の麓に位置し、西坂、入坂、新坂とも書かれていました。 「日坂宿」の初見は、鎌倉時代、延慶2年(1310)の「夫木和歌抄」といわれています。慶長6年(1601)徳川家康による、東海道の整備にともない、問屋場が設けられ、伝馬の継ぎ立て駅としての日坂宿は、重要な存在になりました。助郷43村の協力で、伝馬百疋と伝馬人百人が置かれ、役人の公用と荷物の輸送に役立ってきました。天保14年(1843)の記録によれば 家数168軒、人口750人とあり、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒がありました。 大井川の川止めや、大名の参勤交代などで小さな宿場町ではありましたが、かなりの賑わいであったと思われます。 宿場の東口から西□までの距離は、およそ6町半(700m)町並の形態は現在もあまり変わっていません。  日坂地域振興の会・ 日坂宿おこし委員会
 旧日坂宿町並 日坂 掛川市 静岡県