笠はありその身はいかになりならむ あわれはかなき天の下かな
ここは平安時代末期〜鎌倉時代にかけての歌僧として有名な西行が、愛弟子西住と東国へと旅をした時に起きた悲しい物語の舞台であり、謡曲「西行西住」にまつわる場所でもあります。東下りの途中、川渡しの場で武士の揉め事に巻き込まれた時、師である西行に暴力が振るわれたのに我慢できず、西住は相手の武士を杖で殴ってしまいます。しかし西行は、仏に仕える身として辱めに耐える大切さを説いた後、西住を破門してしまいました。西住は師を慕って後を追うが、岡部まで来て病に倒れ、最後に体を休めた松の木に「西へ行く雨夜の月やあみだ笠 影を岡部の松に残して」と、辞世を書き残した笠を懸け、そのまま帰らぬ人となりました。東国よりの帰途にこの地で一夜を乞いた西行は、その庵で戸に懸けられている古い檜笠が西住のものと気づき、庵主から西住がここで行き倒れたことを知ります。深い悲しみに落ちいった西行は、右記の歌を残して岡部を去ったと伝えられています。
笠懸の松 岡部 岡部町 藤枝市 静岡県