平安時代に編まれた『延喜式』には東海道の駅の一つに「横田」の名が記されています。古代の「横田」の位置に関してはいくつかの説がありますが、この記録から横田周辺が古来より東西を結ぶ要衝であったことがわかります。また、同じく平安時代に編まれた『倭名類聚紗』には安倍郡の八郷の中に「横太」と記載されています。 江戸時代に入ると駿府96ヶ町の一つに数えられます。上・下横田町のうち下横田町は府中宿の東の入口にあたり、東境には「見付」がありました。 『駿国雑志』によれば横田見付は、元禄5年(1692)に設置され、道をはさんで両側に枡形の石垣が築かれていました。また、元禄5年の「駿府町数・家数.・人数覚帳」によると、当時の下横田町の家数は47軒、人数は214人でした。
東見付跡 横田町 葵区 静岡市 静岡県