「金谷宿」は江戸時代・東海道24番目の宿場として、徳川家康が伝馬制度を定めた慶長6年(1601)に始まりました。東に大井川、西に小箱根といわれた「金谷坂・菊川坂」や「小夜の中山」の難所を控えたこの地はまさに東海道の交通の要衝であり、天保14年(1843)頃の金谷宿明細書によると、大名や公卿等の休宿にあてられた本陣が3軒(佐塚屋・柏屋・山田屋)、脇本陣1軒、旅籠51軒が確認されており、参勤交代制が実施された寛永12年(1635)以降は宿場において重要な機能をはたしました。本陣の一つ「柏屋」は、先祖の功によって徳川家康より屋敷を賜り、二百数十年間金谷宿本陣の経営と名主を勤めました。現在では商店街となっており、宿場の面影は見られませんが、JA大井川金谷支店・地域交流センターの場所が「柏屋」であった場所です。
遠州金谷宿 柏屋本陣跡 金谷 島田市 静岡県