日本左衛門は本名を浜島庄兵衛といい生まれは定かではないが、遠州浜松在ではないかといわれています。歌舞伎の白波五人男日本駄右衛門のモデルにもなりました。義賊といわれ、盗みはするが非道はしないというのが身上で、金持ちの蔵を破り生活困窮者に盗んだ金をばらまいたという説もあります。詮議の手が廻り、もはや逃れられないことを知った日本左衛門は京都で自首しました。そして、江戸に送られて処刑され、根城としていた見付宿(現在の磐田市)でさらし首になりました。辞世 「押取の人の思い羽かさなりて 身に青網のかかる悲しさ」 と詠んでおります。金谷宿の「おまん」という愛人がひそかに見付宿から首を持ち帰り、この宅円庵に葬ったものです。
日本左衛門首塚 金谷河原 島田市 静岡県