慶長や寛永の大井川の大洪水でこの地は度々水害に悩まされた。 寛永12年(1635)田中城主となった水野監物忠善は領内を洪水から守るため、ここ下青島の無縁寺の山裾から南方藤五郎山(今はない)をはさみ本宮山(正泉寺)まで約360m、高さ3.6m、巾2.9mの大堤防を一千貫もの労銀を投じて造築したのでこの名がある。 昭和40年代の土地開発によって、藤五郎山を始め堤は取りのぞかれ、現在は石野家の南側に約40mの堤がそのまゝの姿で残っている。平成10年5月 青島史蹟保集会
千貫堤 上青島 藤枝市 静岡県