奈良時代、官道の4里毎に駅を置く制度があり、中央からの里程を知るようになっていた。主要街道の一里毎に里程標を置くようになったのは、織田信長の時代に始まるという。徳川家康は子秀忠に日本橋を起点に東海道に一里塚を築かせた。志太一里塚は江戸から約200kmで50里目に当り、瀬戸川堤から西へ約50m・岡野歯科医院の裏と、熊切商店の前の街道の両側にあった。  藤枝市内では志太の他、鬼島上青島に一里塚があり、上青島には近年まで塚跡が残っていた。  平成10年5月  青島史蹟保存会
志太一里塚跡 志太3丁目 藤枝市 静岡県