薩埵峠付近より富士山眺望 西倉沢 由比町 庵原郡 静岡県
さった峠
 さった峠は、東海道興津宿と由比宿の間に横たわる三キロ余の峠道で、古来、箱根・宇津の谷・日坂などと共に街道の難所として知られてきました。 江戸幕府の東海道伝馬制度が定められたのは関が原の戦から間もない慶長六年(1601)のことで、その後「一里塚」なども整備されましたが、この峠道の開通はずっと遅れて、明暦元年(1655)と記録されています。 さった峠には上道、中道、下道の三道がありました。下道は峠の突端の海岸沿いの道であり、中道は、明暦元年に開かれた山腹を経て外洞へ至る道です。また、上道は、峠を下るところより内洞へ抜ける道であり、この道が江戸後期の東海道本道です。 
風光明媚な絶景の地
 その昔、現在の富士市から興津川河口一帯を田子の浦と呼んでいました。万葉の歌人、山部赤人の有名な歌は、この付近から詠まれた歌ではないかと伝えられています。
田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りけり
 また享和元年(1801)狂歌師の蜀山人(大田南畝)が峠にあった茶店に休息した時、小さな祠が目に止まり亭主に訊ねると、山の神だと返事したのが面白く即興で作った狂歌がさった峠の名を有名にしました。
山の神 さった峠の風景は 三下り半に かきもつくさじ