蒲原宿の西の入り口には木戸があり、「西木戸」と呼ばれていました。もともと宿場は、西木戸より南側の古屋敷と呼ばれている所に広がっていましたが、元禄12年(1699)の大津波によって壊滅的な被害を受け、蒲原御殿があったとされる現在の地に移動しました。この西木戸の近くに青木の茶屋(茄子屋)があり、「茄子屋の辻」で乱闘がおこりました。 承応2年(一1653)、高松藩の槍の名人大久保甚太夫らが江戸へ行く途中、薩摩藩の大名行列と出会い、槍の穂先が相手の槍と触れたことでロ論になり茄子屋で薩摩藩の大名行列と乱闘が始まり、七十人近くを倒しました。しかし、最後に追っ手に見つかり殺されてしまいました。当時の竜雲寺住職が墓地に葬り、供養しました。甚太夫の槍の穂先は、現在寺宝として、保存されています。  静岡市 
 西木戸・茄子屋の辻 蒲原3丁目 清水区 静岡市 静岡県