吉原宿は江戸から数えて東海道14番目の宿場町である。しかし、度重なる津波や高潮の被害により三度所替えをし、現在の地となった。延宝8年(1680)8月の大津波でかっての吉原宿(現在の富士市依田原・通称「中吉原宿」が大被害を受けると、直ちに所替えの準備にかかり、幕府の許可を得て、北方のこの地を選び天和2年(1682)に所替えをした。東の木戸を旧日産自動車西門の辺りとし、西は小潤井川の四間橋とした。(中略) 新しい吉原宿の町割りの基点として、天満宮(天神社)を鬼門に当たる場所に設けたが、神社も寺院もみな中吉原宿から所替えをしたという。また、再建のため家の材木には富士山の風損木を利用した。その後吉原宿は本陣二軒、脇本陣4軒に加え、百軒を超す旅籠屋をかかえ、東海道有数の宿場町として栄えてきた。

 吉原宿 吉原3丁目・中央町1丁目 富士市 静岡県