天保7年(1836)の大飢饉や度重なる水害から村民を救済するため、原宿の増田平四郎(1807〜1892)が浮島沼の大干拓を計画し、現在の昭和放水路と同じ場所に大排水路を完成させたのは明治2年(1869)の春で、人々は「スイホシ」と呼んだ。 以下略   平成6年3月  富士市教育委員会 
昭和放水路・富士山 広沼橋より 沼田新田 富士市 静岡県