白隠禅師は、駿河国原宿(現在の沼津市原)長沢家の三男として貞享2年(1685)12月25日の仕舞天神の日、丑の年、丑の日、丑の刻に生まれ、名を岩次郎といった。 15歳のとき松蔭寺で出家、慧鶴と名づけられた。十九歳より旅に出て諸国を修行し、ついに5百年間に一人と言われるほどの高僧となり、のち臨済禅中興の祖と仰がれるようになった。
禅画をよくし、好んで釈迦、観音、達磨などを描き、現在松蔭寺に多数保存されている。また「駿河に過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」とも歌われた。 以下略  昭和56年11月30日 静岡県 沼津市 教育委員会
 松蔭寺 原 沼津市 静岡県