(前略)黄瀬川村に小野善司左工門政氏なる長者あリ 一子なきを悲しみ、祈願、満願一子を授く、亀鶴姫と名付く。 七才の春両親に死別、十八才の時、源頼朝公富士の牧狩の宴に、再度召されたが応ぜず、この世を憂き事と思い、黄瀬川の水上、百沢の瀧のほとりに立ち、
 み佛の深きめぐみぞ頼みなる、 身は瀧きつ瀬のあわと消ゆとも。
と一首の歌を残して飛泉に身を沈む。 この時建久四年(1193)五月二十七日なり。姫は駿河の三美人と云われ賢女にして、亀鶴草紙等を残す。 以下略  木瀬川自治会
 亀鶴之碑(潮音寺) 大岡 沼津市 静岡県