隣に建つ「富士の白雪の碑」には三島の民謡「農兵節」の元詞
 
「富士の白雪 朝日に溶けて 三島女郎衆の化粧水」 
が刻まれています。これは昭和7年(1932)、「農兵節」の普及を記念して、三島水明会によって建立されました。書は平井源太郎です。農兵節の起源は、幕末、韮山江川代官が三島で農兵の調練を行なった時、長崎留学から帰った家臣の伝えた、西洋のメロディーを行進曲に採用し、それを聞いた三島宿の人々が、当時の田植え唄・馬子唄の詞をつけて流行したのが始まり、と伝えられています。明治・大正時代「ノーエ節」としてさまざまな替え歌で歌われていたものを、昭和初期に尻取り唄の「農兵節」と「農兵踊り」を完成し、三島民謡として全国に宣伝したのが平井源太郎でした。 以下略  平成12年2月  三島市教育委員会
富士の白雪の碑 白滝公園 三島市 静岡県