箱根旧街道 畑宿 箱根町 足柄下郡
雲助とよばれた人たち
「箱根の雲助」というと知らない人はいません。ところが雲助とよばれた人たちは、実はこの小田原の問屋場で働く人足たちだったのです。しかし雲助というとなんか悪者のように考えますが、それは一部の人で、問屋場では人足を登録させ仕事を割り当てていましたので、わるさをした人などはいなかったといいます。日本交通史論という資料によると、雲助になるのは次の3つにパスしなければならなかったそうです。その内容をみるとなかなかむずかしく誰でも、すぐなれるという職業ではなかったようです。
1.力がひじょうに強いこと。(これは仕事の性質上ぜひ必要です)
2.荷物の荷造りがすぐれていること。(荷物を見ると、だれがつくったものかわかり、また箱根で一度荷造りした荷物は、京都まで決してこわれなかったそうです)
3.歌をうたうのが、じょうずでないと、一流の雲助とはいわれなかったそうです。
こうした人足のほかに、馬をひく「馬子」、かごをかつぐ「かごかき」たちの雲助が、元箱根や湯本など箱根の各地に住み通行や温泉遊覧のたすけをしていました。   環境庁・神奈川県