早雲寺は、大永元年(1521)北条早雲の遺命により、その子氏綱によって建立された寺であり、以来北条氏一門の香火所としてその盛衰をともにし現在に至っています。この寺には、北条文化の香りを伝える数多くの文化財が残されており北条文化を語るのに欠くことのできない寺です。
連歌師宗祇は、文亀元年(1501)二月越後上杉氏の許を発ち、弟子宗長・宗碩らと関東各地で連句を催しながら駿河・美濃に向う旅の途上、翌文禄2年7月30日箱根湯本で客死した(享年82歳)弟子たちは、宗祇の遺骸を担いで箱根山を越え富士山の裾野、桃園の定輪寺に埋葬した。早雲寺の宗祇の墓は、終焉の地に建てられた供養塔である。江戸時代に入ると多くの俳人や旅人が宗祇を偲んで早雲寺を訪れ、連句や画像を奉納するようになった。(以下略)
飯尾宗祇(1421〜1502)
室町時代の代表的な連歌師。近江湖東または紀伊有田出身。連歌を心敬・専順に学び、一条兼良・東常緑から古今伝授を受ける。自然斎・種玉庵を号し「水無瀬三吟百韻」「指南抄」「竹林抄」などの多数の独吟・連吟、著作をのこした。勅撰「新撰莵玖波集」の選者でもあった。三條西実隆などの貴族、周防大内氏・越後上杉氏・武蔵太田氏など多くの大名・武将を指南し、柴屋軒宗長はじめ多くのすぐれた弟子を輩出した。西行・芭蕉とならんで日本を代表する「漂泊の詩人」の一人である。
早雲寺 湯本中宿 箱根町 足柄下郡