延台寺 当山は日本三大仇討の一、曽我兄弟の仇討にゆかりの深い、鎌倉時代の舞の名手、伝説の美女虎御前(虎女)が兄弟を偲んで庵を結んだ跡とも伝えられ、慶長4年(1599)身延山第19代法主法雲院日道上人によって開かれ、以来日蓮宗の寺院として今日に及んでいます。以下略 |
虎御石 安元元年(1175)、大磯の山下長者に一人の娘が生まれた。長者は40才を過ぎても子宝に恵まれず、虎池弁財天に願をかけて授かったので、虎と名づけた。この時弁財天のお告げの印として小さな石が枕元にあり、長者は邸内にお堂を建て虎御石と名づけて大切におまつりしていた。 以下略 |
虎女供養塔 当山開山法雲院日道上人が鎌倉の昔に当山の基を開いた虎御前の菩提を供養するため建てた供養塔と伝えられています。 28世代 整備 |
大磯宿遊女之墓 江戸時代、宿場の遊女は人知れず無縁塚に葬られる者も多かったといいます。しかし当山檀徒に縁ある遊女は当山墓地に丁重に埋葬されました。ここにその女たちがねむっています。 |