東海道53次の宿場として栄えた平塚宿の家並みは、空襲やその後の区画整理により、往時を偲ぶ面影が残っていません。宿場の西の入口であった京方見附の場所も定かではなくなりましたが、先人たちの言い伝えや歴史資料等によりこの辺りにあったものと思われます。初代広重によって描かれた東海道53次平塚宿の錦絵もこの付近からの眺めのものと思われ、変わらぬ高麗山(こまやま)の姿に往時の風情が偲ばれます。以下略   平成13年3月   平塚市
 平塚宿京方見附跡 平塚市