平塚の塚 平塚市
江戸時代の天保11年に幕府によって編纂された「新編相模国風土記稿」の中に里人の言い伝えとして、「昔、桓武天皇の三代孫、高見王の娘政子が、東国へ向う旅をした折、天安元年(857)2月この地で逝去した。棺はここに埋葬され、墓として塚が築かれた。その塚の上が平になったので、里人はそれを『平塚』と呼んできた。」という一節があり、これが平塚という地名の起こりとなりましあた。この事から平塚の歴史の古さが伝わります。  平塚市