飯盛女とは江戸時代、宿場の旅籠屋で給仕をする女として公認されていたが、遊女としての側面ももっていた。藤沢宿大鋸町では、飯盛女のいない宿場がさびれたため、万延2年(1861)宿民のためとして一旅籠屋二名の飯盛女を置く許可を役人から得ている。永勝寺に眠る小松屋の抱えた飯盛女の墓は39基あり、内38基が宝暦11年(1761)から享和元年(1801)まで、小松屋の墓域に建てられている。このように供養されたものは少なく、借金の形など苦界の中で身を沈めた者が多い中、小松屋の温情がしのばれる。   藤沢市教育委員会
永勝寺・飯盛女の墓 本町4丁目 藤沢市