城南宮 中島鳥羽離宮町 伏見区 京都市
平安遷都の際、都の南に国の守護神として創建され、国常立尊、八千矛神、神功皇后をお祀りする。平安時代の末、この地に白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営されると一層崇められ、城南祭では流鏑馬や競馬が行われた。 また離宮は方違えの宿所や熊野詣での精進所となり、方除けの信仰が高まった。承久3年(1221)、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、鎌倉幕府との間で承久の乱が起きたことは名高い。 江戸時代以来、城南祭では三基の神輿が氏子地域を渡御、「餅祭り」とも称されて大いに賑う。皇室の崇敬厚く、孝明天皇は攘夷祈願の際に行幸されて吹散を賜り、慶応4年(1868)正月、城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が轟き、鳥羽・伏見の戦いが始まり、明治維新を迎えた。 日・月・星を象った三光の御神紋は神功皇后の旗印に因んで広大な方除の御神徳を表し、建築・転宅・交通・旅行安全の神として信仰が深い。神苑「楽水苑」は「源氏物語 花の庭」と称され、四季の風情に富む名園として名高く、春秋に「曲水の宴」が雅やかに行われる。   京都市