小枝橋・鴨川 南区/伏見区 京都市
その昔京都(平安京)への渡り口である小枝橋は言い伝えによりますと杭を打った上に板を渡した木の橋であり、その後昭和のコンクリ−トの橋が出来るまでは土を固めた土橋であったと伝えられています。この橋は京都が都といわれた時代には重要であり、当時大阪(浪速)に渡来した大陸からの文化はすべてこの橋を渡って渡来してきたものと思われます。当時庶民にとって何かにつけて都は憧れであり、西方からの旅人はこの橋迄たどり着く事により安堵したとの事です。そして以前は時により鴨川が氾濫して橋が流されたようです。又、明治維新や日本赤十字社の創設の原因を作った戊辰戦争の戦端が開かれた場所でもあります。昭和に入って交通機関の発達する迄は小枝橋を荷車や歩行の人々が利用していました。現在は地元民や伏見地域の人々は元より東西南北の通過橋としてかけがえのないふれあいとコミニケーションが保たれる橋として役立っています。