京橋船着場 南浜町・柳町 伏見 京都市
南浜
伏見城の外堀・宇治川派流に南面。三十石船の乗降客をはじめ旅人や貨物などがさかんに往来し、対岸には後に歓楽街となった中書島もあり、数ある荷揚げ浜の一つとして「南浜」と名付けられた。この付近は宿場町の中でも本陣、旅籠などが集中するところで、江戸時代には本陣4、脇本陣2、旅籠36を数え、東海道54番目の宿としておおいに賑わった。城下町時代には、キリシタン大名・高山右近の屋敷や伏見キリスト教会のあった所とされているが、江戸時代になると、船着場からの旅人に馬を供する馬方が参集、「馬借前」とも呼ばれた。室町時代の伏見の詳細な記録「看聞御記」を著された、伏見宮貞成親王の松林院陵が南浜小学校に隣接している。その西側には親王に仕えていた女官の庵があったが、これが現在「松林院」という浄土宗の寺となっている。