曹洞宗 雲龍山長興寺々歴抜粋
当山創建は鎌倉時代建治元年(1275)にして、天台宗『大覚寺』と称し元寇に際しては祈願寺となるも、応仁の乱により衰退す。  室町時代中期に至り、戸田弾正左衛門尉宗光公田原城を築城し、現田原の基盤をなすとともに、恩顧ある当地の豪族一色七郎公を祀らんがため、自ら開基となり盧岳棟都大和尚を招聘して、文明14年 (1482)曹洞宗『雲龍山長興寺』として再興し、 寺領百石を寄進して戸田家代々の菩握寺とす。  江戸時代に入るも寺領は継承され、東三河を中心に信仰の主軸となり、中本山輪番寺として隆盛を極め、一門・支葉・末寺は実に105か寺に及び当山これを総括す。
本尊は釈迦牟尼佛にして、収蔵庫には県指定重要文化財鉈彫観世音等を祀る。
長興寺 岩下 大久保町 田原町 田原市 愛知県