田原城下町入口跡の由来
龍門寺の古文書に「慶長年間(1596〜1614)戸田公(戸田尊次殿様)城下町を築くにあたり大外堀南西に新町をつくる」とあり、これによると「龍門寺は小牧長久手の戦役長びきて近郷被幣のためやむなく吉胡蔵王山より新町に移る」と記す。 現在地は当時城下町の陸路正面の入口にあたり、時には木戸も建てられたようだ。 巴江、加治、清谷の入江を前に城下を守る要塞ともなり、路はわざと見透しなく、曲がり曲がって城の大手門にいたる新町はその道路を中心に開けた街である。 龍門寺
田原城下町入口跡 新町 田原町 田原市 愛知県